トレーナー になったきっかけ

トレーナー まい

2019年11月24日 23:30

トップアスリートの専属トレーナー の技術を、
全てのアスリートへ。
プロのマッサージや、
パフォーマンス向上を支えるFORMの太田です。


トレーナー になったきっかけ

それは大きく3つあります。

一つは、1996年アトランタオリンピック、
当時11才、田村亮子(現:谷亮子)ことヤワラちゃんの
試合を見た時でした。
結果は銀メダルだったものの、
私はオリンピックというものに
もの凄く憧れを持ちました。
そして、いつか私もオリンピックに行きたいと思うのです。
しかも、何の種目でもいい何かしらで行きたい!と、具体性のない夢でした。

もう一つは、高校時代同じハンドボール部の友達が
膝の大怪我をして3年生最後の試合に
出れなかったこと。
当時、大学まで競技を続けようと思っていました。
なので、ただ最後の試合に出れないだけなら、
トレーナー になろうとは思わなかったと思います。
その友達は膝を捻ってしまった後、病院を受診し、
そこで2週間休めば治ると言われました。
しかし、2週間休んでも治りませんでした。
それどころか日常生活でも膝を捻るようになり、
まともにスポーツができない状態でした。
そこでセカンドオピニオンを受けた結果、
内側側副靱帯損傷・内側半月板損傷・前十字靭帯断裂
手術しないと治らないと言われました。
しかも復帰までに1年かかると。
その時すでに高校2年生が終わり、3年生になる頃。
1年後なんて卒業間近。
もうハンドボールはできないと宣言されたのと
同じようなものでした。

その時、強く思うのです。
近くに怪我を見てくれる人がいればいいのに!
自分自身にそういう知識があれば
もうちょっとなんとかなったのに!と。

例え知識があっても、
なんとかならなかったかもしれません。
けれどその当時の私は、
強く、とても強くそう思いました。
そして、そういった職業はなんだろうと調べ始めました。

それがトレーナー という職業との出会いです。

そして最後の一つ。
高校時代、久々に仲が良かった中学校の同級生に会いました。
その子も部活を頑張ってて、
U-18かU-21の日本代表に入ったと聞きました。
友達の、いつかオリンピックに行く!!
という決心を聞いた私は、
昔、自分自身がオリンピックに行きたかったことを
思い出しました。

けれど、選手としてはとても行けそうにないと気づいていました。
そこで、ふと、
トレーナー でオリンピックに行こう!
と思い立ったのです。

これが私がトレーナー になろうと思ったきっかけです。

話せばよくあるきっかけですが、
これらの出来事の積み重ねのお陰で
今の私がいます。

私にとって、絶対に忘れることのできないきっかけです。



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